講座の前史

メディア情報学講座の前史

1993年-2001年

1993年、東北大学教養部が廃止され、同時に情報科学研究科が独立研究科の一つとして新たに設立されました。情報科学研究科には、当初、工学研究科の講座、旧教養部の教員だけでなく、電気通信研究所、大型計算機センター、情報処理教育センター、言語文化部(旧教養部の一部の教員で組織された部局)、保健管理センターなどの協力講座も含まれていました。

この言語文化部からの協力講座が、メディア情報学講座の前身である「テキスト情報解析論講座」と「超言語的記号論講座」です。テキスト情報解析論講座には、生出恭治教授(本学名誉教授、2004年退職)、関本英太郎教授(本学名誉教授、2013年退職)、超言語的記号論講座には、平田満男教授(本学名誉教授、1999年退職)、窪俊一助教授(2021年退職)が所属していました。その後、1997年からテキスト情報解析論講座にJeremy Simmons助教授(2003年退職)、超言語的記号論講座には阿部宏助教授(2001年文学研究科に配置転換、文学研究科教授)が加わり、翌1998年には、超言語的記号論講座に足立美比古教授(本学名誉教授、2012年退職)がスタッフとして加わりました。

講座の最初の研究室は片平にあり、現在の財務部2階にありました。2年後、大型計算機センターの青葉山移転に伴い、空いたセンターの建物に引っ越しましたが、テキスト情報解析論講座、超言語的記号論講座とも2階に研究室がありました。

前期課程の学生たちは、現在の情報棟では各階の講座に分散していますが、当時は1階の大部屋に全員一緒でした。これは様々な分野の学生が否応なしに日常的に接するようにという意図でなされたと聞いています。初期の人文系の学生たちは、出身大学が多様であるだけでなく、自分たちが新しい研究科で新しい学際的な学問分野を作っていくのだという気概を持っていたように思います。従って、講座を越えた横のつながりも強く、ネットワークの運営も学生たちを中心に共同で行っていました。

2001年春に青葉山に現在の情報棟が完成し、2度目の引っ越しとなるわけですが、その際、言語文化部からの協力講座は基幹講座に組み込まれました。そして、新たに「メディア情報学講座」が設置され、テキスト情報解析論講座は「メディア文化論分野」に、超言語的記号論講座は「メディア記号論分野」に名称を変えました。

2001年4月時点でのメディア情報学講座設置時の所属教員は、メディア文化論分野が、関本英太郎教授とJeremy Simmons助教授、メディア記号論分野が、足立美比古教授と窪俊一助教授の計4名です。

最初の研究室(片平キャンパス) 現在の本部・財務部の2階
1995年4月 旧大型計算機センターに引っ越し 現在の通研本館の位置(当時の建物はない)
2001年4月 青葉山の情報科学研究科棟に引っ越し
昔の院生室(当時の建物はない)

(文責:窪俊一[超言語的記号論講座およびメディア記号論分野所属 1993-2021])